ヤコブ2章 その人に行ないがないなら

ヤコ2:14「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか」

確かにイエス様が教えを説くだけの人ならば、信じない人もいたでしょう。愛のない人は、無関心な人だとよく言われますが、ヤコブの言うように差別する人も愛の行為から離れている人です(4)。救いは信仰によってですが、愛は行ないです。救われるのに特別な行ないは必要ありませんが、救われて神を信じる者となったなら、そのことを外に示す必要があります。口先だけなら、詐欺師やペテン師でもできます。聖書のことばが事実であることを示すのは、クリスチャンが地の塩となって(マタ5:13)、世にアピールする必要があります。決して、偽善でなく、よく見られようとして欺まんな思いではなく、心からの愛を示せるなら幸いだと思います。そう言う意味では、イエス様の十字架を超える行ないはありません。イエス様は人に愛を説くだけ説いて、自分は何もしないような人ではありませんでした。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(ヨハ15:13)」と言われた方は、ご自分の言われたことに責任を持たれる方で、実際にそのことば通りに行ないました。人にとっては究極の選択ですが、愛する家族のためにいのちを捨てる人もいるでしょう。その愛の対象が全人類となると尻込みするのです。それができたのはイエス様だけですが、神を信じる者も少しずつ赦し、赦されて成長していくのだと思います。