ヤコブ3章 ねたみや敵対心のあるところには

ヤコ3:16「ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです」
刑事ドラマなどを見ると、殺人事件の捜査は指紋やDNAなどの証拠も必要ですが、やはり犯人の動機が事件を解決する鍵になっています。「ねたみ」と「敵対心」はその代表格で、人がそのような思いに取りつかれるとなかなか平常でいられなくなります。「ねたみ」に使われているギリシャ語は「zelos(ゼラス)」で、英語の「jealous」のもとになった単語です。一方「敵対心」のギリシャ語は「eriteia(エリサイア)」が使われており、「争い」や「紛争」の意味があります。十戒の最初の戒めは「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない(出20:3)」です。神ご自身が、ほかの神を拝むことに対してねたんでおられるのです。主はねたむ神であると聖書にも書かれています(出34:14)。しかし、ねたむことによって相手をさばくことは許されていません。結婚したら、夫も妻もパートナー以外の相手に心を許すことを嫌がります。ヤコブはねたむことは、あらゆる邪悪な行ないのもとだと語っています(16)。パウロがコリントに書いた手紙には愛の定義が書かれていますが、「妬まない」というのも愛の条件の1つに挙げられています(1コリ13:4)。同様に山をも動かす信仰があっても、愛がなければ何の値打ちもないとあります(1コリ13:2)。とにかく愛とは真逆のねたみは心から締め出すことです。