民数記9章 朝になって雲が上れば

民9:21「雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った」
イスラエルの民は、エジプトで10も災いを目撃し、紅海が割れるのも経験しています。荒野ではマナが降り、自分たちの行く道は雲の柱が導いています。これだけの奇跡を見せられているにもかかわらず、モーセが山に登り、降りてくるのが遅いと金の子牛を作り、取り囲んで踊っていました。この様子を見たモーセは怒って、せっかく主からもらった石板をたたきつけ粉砕してしまったのです(出32:19)。主は40年間、イスラエルの民を訓練し、正しい道を教えなおさなければならなくなりました。雲の柱がいつ上るかは、イスラエルの民を訓練するには必要なことだったのです。夕暮れに雲が止まっても、次の朝には移動するなら、たった半日の滞在であっても彼らは従いました。宿営地は全部で43か所です(33章)。43か所で40年ならば、平均すると1か所1年足らずとなりますが、ある宿営地では1年以上、別の宿営地では数日間などということもあり得たと思います。仮に、ある宿営地に2年もいたら、イスラエルの民はその場所に慣れ、愛着を示し、そこに住んでもいいぐらいに感じたと思います。しかし、主の願いは主に従ってもらうことでした。