民数記21章 このみじめな食物に飽き飽きした

民21:5「民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした」」
イスラエルエドムの地を通ろうとしましたが、エドム王が全力で阻止したため、しかたなく迂回せざるを得ませんでした(20:21)。そして葦の海のルートを通るようになったのです(4)。葦の海は「reed sea」で、紅海「red sea」とは1字違いです。新約では「紅海」となっていますが(ヘブ11:29)、旧約では「紅海」という訳は使われていません。単純にモーセが2つに分けた「葦の海」のことを指しているのなら、40年かけて元に戻ったことになります。イスラエルの民が我慢できなくなったのは、見たことのある土地を通ったからではないでしょうか?今回は水だけでなく、パンが食べたい、マナはもう飽きた、と不満の内容が膨らんでいます。それは明らかに主に信頼する心が揺らいでいる不満の内容です。そこにサタンはうまく取り入って、民を混乱させようとします。イスラエルの民の不満が最高点に達したとき蛇が現れ、その蛇が木にかけられるのを仰ぎ見ると生きる(8)のは、イエス様の十字架のひな型です。イエス様ご自身が「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません(ヨハ3:16)」と言われているように、この出来事が神にとっても、人にとっても需要な意味をもっているのです。聖書に一貫して書かれているストーリーは、人が先ゆかなくなり、サタンが盛り上がったときに、神の救いがくるというものです。