詩篇1篇 さばきの中に立ちおおせず

詩1:5「それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない」
正しい人は「水路のそばに植わった木」のようで(3)、悪者は「風が吹き飛ばすもみがら(4)」のようだとあります。片や水路のそばに根付いているのに対して、もう一方はまるで中身のない軽い存在です。ここではしっかり根を張り実をつける木に対して、立っていることもできないもみがらが対比されています。悪者はさばきの中にも立ち続けられず、正しい者のつどいにも参加できません(5)。現実社会を見るとまったく逆のようにも感じます。悪者のほうが金を牛耳って、正直者が不利益を被るケースが多くあるように思えます。しかし、聖書が教えているのは、たとえ不正によっておいしそうな実を食べている人がいても、そのような悪者のはかりごとに歩むことがない人は何をしても栄えるということです(3)。たとえ財産が多くあったとしても、神がたましいを取り去られたら、何も持たずに行くしかないのです(ルカ12:20)。死後にはさばきが定まっており(ヘブ9:27)、その中に悪者が立ち続けることはできません。周りの環境が正しい者にたいして不利に見えることは多々あるでしょう。詩編の順番がどのようにして決められたかはわかりませんが、最初に幸いなことが定義されいます。幸いなのは主のおしえを喜びとし、その教えを口ずさむことで、このことが詩編の一番初めに選ばれたことです。