生ける者はだれひとり

詩143:2「あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです」
新共同訳では「御前に正しいと認められる者は命あるものの中にはいません」となっています。これはパウロが引用した「義人はいない、ひとりもいない(ロマ3:10)」に通じるものがあります。実際に引用したのは詩編14篇(53篇と内容が同じ)ですが、「義人」すなわち「義」と認められる者は、命ある者の中で誰一人いないということです。不愉快に感じる人がいるかもしれませんが、だれが「自分こそ正しい」と言えるのでしょうか?自分を義にした瞬間に、その人は義からはずれてしまうのです。世の中にはあたかも自分の決めたことがすべて正しいと考 えている人がいるようですが、そんな独裁者的な考えは神からもっとも忌み嫌われていることを知るべきです。たとえ祈って決断したとしても、人の思いが残っていないとは限りません。最初から結論を思い浮かべて祈り始めるなら、その結論に引っ張られてしまうでしょう。義なる神が決断することはひょっとしたら、自分にとっては苦々しいものかもしれません。主の前で義と認められるには、主の判断にすべて委ねる必要があります。