詩篇28篇 どうか彼らの羊飼いとなって

詩篇28:9「どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください」
「羊飼い」のヘブル語「ra-ah(ラッアー)」は、有名な詩編23編「主は私の羊飼い(23:1)」の「羊飼い」と同じ単語です。ほかに「餌を与える」とか「牧者」の意味もあります。ダビデはエッサイの子の中で最も年下で、羊の番をしてました(1サム16:11)。モーセの妻チッポラもモーセと最初に会ったときは、羊の番を姉妹と一緒にしていました(出2:16)。羊飼いは少年や女性でも任せられる仕事だったのです。それでもダビデゴリアテと戦う際に「獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています(1サム17:34-35)」と羊飼いの仕事が決して楽ではないことをサウルに訴えています。この仕事はイエス様の時代まで続き、ユダヤ人がいけにえにささげるためにも、決してはずすことのできないものでした。イエス様はバプテスマのヨハネが死んだとき(マコ6:30)、多くの群衆を見て羊飼いのいない羊のようだと感じ憐れんでおられます(マコ6:34)。ダビデは自分を含めて人は羊で、主は羊飼いだと例えています。それは自分だけでは前に進むのも、後ろに下がるのもできない人を羊のように感じたからです。御民をあわれみ、導かなければ、あらぬ方向へ行ってしまいます。ダビデの切なる願いは詩の終わりに語られていました。