ルカ20章 キリストがダビデの子でしょう

ルカ20:44「こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう」

エリコでは盲人がイエス様を「ダビデの子のイエスさま(18:38)」と呼び、そのことは否定されませんでした。預言書ではイザヤが「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ(イザ11:1)」と預言し、エッサイの血筋から実を結ぶ者が現れることを告げています。この預言はダビデの子孫に救世主が現れると受け取られており、新約の時代でもダビデの家系からキリストが生まれるのではないかと多くの人が考えていたようです。しかし、イエス様は自分がダビデの家系の者だということを否定せずに、なぜキリストがダビデの子なのかと尋ねています(41)。イエス様が引用されたのは詩篇110篇からですが、「主は私の主に仰せられる(詩110:1)」と「主」が2回使われています。最初の「主」は「エホバ」で、次の「主」は「アドナイ」となっています。神が神に語られた、という不思議な訳になりますが、父なる神が子なる神へ語られたと解釈するとわかりやすくなります。そして、「わたしの右の座(43)」は、キリストだけが着くことのできる特別な座です。イエス様はご自分が右の座におられることを知っておられるにもかかわらず(マコ16:19)、ダビデの子からご自分の目をそらせるようにされたのです。