申命記5章 顔と顔とを合わせて語られた

申5:4「主はあの山で、火の中からあなたがたに顔と顔とを合わせて語られた」
創世記の中でアダムは罪を犯した後、神の声を聞き「神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した(創3:8)」とあります。罪があると神の顔をまともに見れなくなるのです。モーセの言う「顔と顔を合わせて」は、隠れる必要のない心が真っすぐで、主の前であっても恥じ入ることのない様子を描いているのだと思います。出エジプトでは、「顔と顔を合わせて語られた(出33:11)」と書かれている同じ章の中に「あなたはわたしの顔を見ることはできない(出33:20)」とあります。ヘブル語では両方とも同じ顔の単語「paniym(パニーム)」が使われています。申命記モーセの回想録のような書簡です。モーセ自身が顔と顔を合わせて主が語ってくださったというなら、それは紛れもない事実なのだと思います。「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルにおこらなかった。彼を主は顔と顔を合わせて選びだされた(34:10)」とあるように、モーセは主にとっても特別な預言者であり、主のことばを取り次ぐ者としては歴史上最高の存在だったと言えます。それゆえに主の特別な計らいで顔と顔を合わせて選びだされ、語られたのだと思います。