申命記16章 わいろを取ってはならない

申16:19「あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである」
神は人をさばき、コミュニティーを充実させることよりも、神との関係を優先させるように導いておられます。3つの祭りが命じられ、過越の祭り(1-8)、7週の祭り(9-12)、仮庵の祭り(13-15)の3つです。これらはユダヤ教で現在も3大祭りとして行われています。7週を数えると五旬節になり、聖霊が降った日になります(使2:1)。わいろはヘブル語「shechad(シェハード)」が使われており、「貢ぎ物」の意味もあります。「わいろは聡明な人を盲目にする」と出エジプトでは訳されています(出23:8)。それは人が善悪を知るようになってからは当然のように心に思い浮かぶものです。自分の立場を優位にし、利益を得たいと考えるのはごく自然のように思えます。しかし、わいろは正義を曲げるのです。日本でも、政治、法律や予算、税金にまつわる人が賄賂を受け取ることを禁じています。特に政治家は法律にも予算にも携わっているので監視の目は厳しくなっています。このようなことが4000年も前から禁じられ、聖書に律法として残されているのは、人の心の中で思い描くことは今も昔も変わっていないことを示しています。サタンは少しだけならいいだろうと、妥協点を探ってきます。たとえほんの少しのものであっても、受け取った者の気持ちは傾くのです。まさに盲目の状態になり、正しい判断が曲げられてしまいます。