申命記22章 知らぬふりをしていてはならない

申22:4「あなたの同族の者のろば、または牛が道で倒れているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。必ず、その者を助けて、それを起こさなければならない」
エス様が律法学者に「隣人」とはだれか、と聞かれたことがありました(ルカ10:30)。そのときに良きサマリヤ人のたとえ話をされています。その内容はある人が強盗に逢い半殺しになり道で倒れているのを、祭司、レビ人、サマリヤ人が通りかかるというものです(ルカ10:31-35)。3人の中でサマリヤ人だけが唯一、倒れている人に憐れみをかけ、介抱したのです。話を聞いている律法学者は、申命記の「ろばや牛が道で倒れているのを見て、知らぬふりをしてはならない」という律法を思い浮かべたのかもしれません。また、たとえ話の中の、道を通った祭司、レビ人も心の中では申命記の律法が頭をよぎったかも知れません。しかし、「この人はろばでも、牛でもないから放っておいても律法に反したことにならない」とでも考えたのでしょうか。ろばや牛でなく、神が創られた人間ならなおさら放っておけないでしょう。このようにイエス様は律法を守ることが杓子定規に考えるのではなく、人を生かすためにあるのだと戒めておられます。パウロが言うように「文字は殺し、御霊は生かすからです(2コリ3:6)」は、イエス様の訴えようとしたことを端的に説明しています。律法のゆえに道で倒れている人が救えないのでは、神の考えた戒めとかけ離れています。心に訴える御霊の声を聞き、倒れている人を助けられる者になりたいと思います。