詩篇30篇 私はとこしえまでも、あなたに感謝します

詩30:12「私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します」

人が「とこしえ」を語るのはちょっと不自然な気がしますが、ダビデが永遠に生きるわけでもないでしょう。それとも、ダビデは死んでからも、そのたましいが主に向かって褒め称えることを理解していたのでしょうか。「とこしえ」と訳されているヘブル語「olam(オラーム)」は、長い過去、未来や時間を指す単語です。自分が墓に下り、ちりになっても神をほめたたえるだろうか、とダビデは歌います。神のまことを告げることができるだろうか、ともあり、生きている間に神を知り、賛美を捧げることがダビデにとって大切なことがわかります。詩篇30篇は家をささげるときに歌った詩です。しかし、この詩の中には家を喜ぶことばは見当たりません。ダビデには、家が完成するよりも、それまでに主が導いてくださったさまざまな恵みを喜ぶ方が優っていたからです。ダビデにとっては家よりも、自分のたましいがよみから引き上げられ、穴に下って行かないように生かされていたことのほうが重要で、喜ばしいことなのです(3)。ダビデが経験したのは嘆きを踊りに変え、荒布を解き喜びを着せてくださることです(11)。それゆえにイエス様は「悲しむ者は幸いです(マタ5:4)」と言われました。これは聖書の原理で、神は神を求める者を決して見捨てることはないのです。