詩篇62篇 口では祝福し、心の中ではのろう

詩62:4「まことに、彼らは彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。セラ」
ことばで人を惑わすことは新約の手紙の中でも書かれています。ヤコブは「舌」という体の器官にたとえて、「舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます(ヤコ3:6)」と警告しています。人の創世の頃から、罪を犯した瞬間に心とことばが分離するようになりました。ローマ書では、パウロがローマ教会の中にある分裂させようとする人たちを警戒するように注意を促している一節があります。「彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです(ロマ16:18)」とあり、ダビデのいう口で祝福し、心の中ではのろっている人たちと似ています。歴史が何千年経とうと、人の心の中は欲に惹かれ、心の中の思いと口から出る言葉は違ってしまうのです。イエス様が言われた口に入るものが人を汚すのではなく、心から出るものが人を汚すのだ、ということばを思い出します(マタ15:17)。人が祝福された賛辞の言葉が偽りだと知ったときは、祝福されないときより傷つくと思います。ダビデには人の心を読める能力があったようで、お世辞やへつらいの言葉で近寄ってくる者はそれがうわべだけだと気づいていたようです。それでも、その者をさばかず、主に全てをゆだね「神こそ、わが岩。わが救い(6)」と賛美できるのは並大抵の信仰ではできないことです。