ヨシュア記5章 彼らが無割礼の者で

ヨシュ5:7「主は彼らに代わって、その息子たちを起こされた。ヨシュアは、彼らが無割礼の者で、途中で割礼を受けていなかったので、彼らに割礼を施した」
出エジプトをした民は割礼をしていました(5)。それはエジプトの地にいても主からの約束(創17:10)を忘れずにいたからです。400年も守り通した割礼をなぜ、出エジプトした民は自分たちの子どもに授けなかったのでしょうか?荒野で過ごした40年の間には、毎年のように生まれてくる子どもはいたはずです。約束の地に入ろうとするとき、40年前に偵察に行ったときの子どもなら(民13:2)40歳を迎えている者もいたでしょう。それがなぜなのかは書かれていませんが、「主の御声に聞き従わなかった(6)」というのは割礼にも及んだ可能性があります。エジプトで奴隷であったとき主に叫び求めたイスラエルの民は(出3:9)、いざエジプトを脱出して荒野を行進するうちに不満を抱いていました。主を怒らした決定的な言葉は「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかった(民4:2)」というものです。奴隷で苦しんでいるときに助けを求め、約束の地を見て巨人がいるのがわかったときはエジプトから出なければよかった、というのでは、あまりにも身勝手です。それでも主は忍耐を持ってイスラエルを導き、死に絶えた民の子どもたちに割礼を授けることで「エジプトのそしり(9)」を取り除いたとされました。2017年度訳では「エジプトの恥辱」と訳されています。新世代の子どもたちにはエジプトでの苦しみはわかりません。割礼は彼らの再スタートの象徴になったのです。