2コリント11章 異なった福音

2コリ11:4「というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです」

再び、別の教えがコリント教会に増え広がっていることが書かれています。ここには「別のイエス」と「異なった福音」という書き方をしていますが、多くの聖書学者が考えているようにグノーシス主義と呼ばれる教えです。もともとはグノーシスは「知識」とい意味があり、学問、知識が教会の基盤になるべきだというものです。そのため、知識の多い者たちの中には、知識を自慢する者が現れ、ともすれば優劣をつけようとしたようです。そこで、パウロは彼らが自慢するのなら、自分にも誇るものがあると多くの試練と苦難を列挙しています(21-27)。パウロは相当な警戒心を持って、異なる福音を受け入れないように忠告しています。すでに教会の中にも「にせ使徒」は潜り込んでおり、多くの人を惑わし始めているようです。それでも、コリント教会の人々は踏ん張り、違った教えから自分達の身を守っていたのです。パウロは良さそうに見える人でも、人を欺くことはあると言っています。「サタンさえ光の御使いに変装するのです(14)」とあるように、愛を示さず知識ばかりを先行させる者たちは避けるように言っています。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものになる(15)と言い、パウロの伝えた福音は揺るぎないものだと言っています。