エペソ1章 いっさいのものがキリストにあって

エペ1:10「時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです」
「いっさいのもの」は、すべてのもののことです。英語では「all things」、ギリシャ語では「pas(パス)」となっています。この「いっさい」という訳は、新改訳を訳した矢内昭二という改革派の先生の独特の表現です。口語訳では「ことごとく」、新共同訳では「あらゆるもの」となっています。23節の「いっさいのものをいっさいのものによって満たす(23)」は、耳に残る響きです。新改訳2017年度版では、10節のみに「いっさい」という訳が残され、22-23節では「すべての」という訳に変わっています。個人的にはインパクトのある響きなので「いっさい」という訳を残して欲しかったのですが、時代とともに口語は変化していくため、新しい時代の人たちにもわかるようにという配慮があったと思います。エペソには女神アルテミス神殿があり(使19:34)、大都市ながら異教の影響が強い町でした。エペソにはアポロ(使18:24)、コリントから同行したアクラとプリスキラ(使18:2)という信仰のすぐれた者たちがいて、パウロとともに開拓をしていました。エペソの前の書簡、コリントやガラテヤのように大きな問題はエペソにはなかったようですが、パウロの教会感を改めて伝えようとした手紙だと言えます。