2テモテ3章 見えるところは敬虔であっても

2テモ3:5「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい」
パウロのような経験豊かな伝道者になると、人の欺まんなどは簡単に見抜いてしまいます。しかし、テモテはそうではなさそうです。一見、敬虔そうに見える人であっても、実はそれが偽りだったりするのです。さらに、「いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない(7)」という者もいるようです。いつも学んでいるとは、聖書に精通しているように聞こえます。敬虔で、学びにも熱心なら問題なさそうに見えますが、パウロクラスになると、彼らの生活態度を見て判断します。学びに熱心でも、情欲に引き回され(6)罪を重ねるなら、聖書に書かれている真理を聖霊は解き明かしてくれないでしょう。終わりの日が近づくにつれて、人の心は自分中心になり、肉の欲に溺れ、神を求めなくなります(2-4)。そのような人たちの中で生活をしていくのは、キリストを信じる者たちには厳しいものです。それは「迫害」となって現れ、神がいないと信じる者にはうっとおしい存在となるのです(12)。悪人、詐欺師たちが行く着くところは、神が存在しない希望のないところです(13)。彼らを見破るためにも、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです(15)」というパウロの教えは大切です。