敬虔そうでも

2テモ3:5「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい」
テモテへの手紙の中には「敬虔」という単語が10回も使われ、パウロがテモテに教えたかった大切なテーマだと思われます。ここでは、敬虔であっても気をつけなさいという、敬虔さの中に隠れている危なさを忠告しています。実を否定するの「実」はギリシャ語では「dunames(デュナメス)」で、英語では「power」と訳され、「権威」や「力」の意味があります。「避けなさい」のギリシャ語「apotrepo(アパトレポ)」は新約の中でここだけに登場するもので、「離れる」という意味もあります。パウロはおそらく敬虔を装う人に出会ったことがあるのだと思います。神や人の前で慎ましい態度であっても、心の中は違っているなら、周りの人は騙されてしまうでしょう。それでも敬虔さを身に着けるようにテモテに教えているのは、思い上がった高慢な態度がいかに神に受け入れられないかを知っていたからだと思います。人の心の中は神以外に誰もわかりません。羊の皮をかぶったオオカミは世の中にたくさんいます。テモテは教会の中であってもそういう人に目を配っていなければならないのです。牧会の難 しいところです。