エゼキエル21章 あなたがたが思い出すため

エゼ21:24「それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたがたのそむきの罪があばかれるとき、彼が、あなたがたの不義を思い出させて、あなたがたのすべてのわざに罪が表われるようにするため、また、あなたがたが思い出すため、あなたがたは彼らの手に捕らえられる」
バビロンの王がエルサレムを攻めるときに占いをしたことは、列王記にも歴代誌にも書かれていません。唯一、エゼキエルが神の示しによって、バビロン王がエルサレムを包囲し、塹壕を掘り、塁を築いたのがテラフィムへの伺いの結果だったことを伝えています(21)。イスラエルの民はヒゼキヤ王の時代のアッシリヤ包囲の出来事を覚えており(2王18:17-19:35)、バビロン軍がエルサレムに入って来て殺戮を行なうことを信じていませんでした(23)。しかし、時は満ち、主のさばきのときが来たのです。エレミヤ、エゼキエルの預言のとおり、バビロンに連行されなかった者たちは剣とききんと疫病で死ぬことになります(エレ14:16など)。自分たちの神はそのようなことをなさらない、とたかをくくっていたイスラエルの民は、預言が実現したときに「ああ、やっぱりそうだったのか」と知るようになります(24)。気づいたときには、全ての預言が成就した後で、そのときにようやく自分たちのした主への裏切りが、いかに主を傷つけていたかがわかるのです。主はネブカデネザルが占いをすることも、イスラエルの民が最後まで占いを信じず、場内にとどまることもご存じでした。バビロンに連行された者たちは主の恐ろしさを知る瞬間です。