詩篇123篇 安逸をむさぼる者たち

詩123:4「私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです」
この詩の歌い手の境遇は奴隷の状態だったと推測できます(2)。ユダヤ人が奴隷だったのはモーセの時代のエジプトの頃と、バビロン捕囚の2つが考えられます。この123篇はバビロン捕囚にあった人の詩だと思います。記録ではバビロン捕囚で連行された人たちは高官、有力者だけでも1万人いたと書かれています(2王24:14)。イスラエルでは権力の座にいた者たちも、バビロンの地では奴隷として働かされました。彼らの仕えている主人たちには主の戒めも、律法もありません。「安逸」という日本語は「何もせずに、ぶらぶらと遊び暮らすこと」の意味があり、安逸をむさぼるという言い方が一般的です。そのように何も仕事をせず、ただ高ぶってユダヤ人に配慮もなく、奴隷への指示を出していることに歌い手は疲れ果てています。歌い手の目は手に向けられ(1)、ひたすらあわれみを乞うています(3)。イスラエルの民はエジプトで400年の奴隷時代があったことは理解しています。400年苦しんだ末に、モーセによって出エジプトができました。それは長い時間ですが、主が自分たちを救ってくださることに確信を抱いています。主が私たちをあわれるまで(2)、というのはあきらめていない証拠です。事実、70年後にはペルシャ王クロスによって都上りは実現するのです(エズ1:1)。