詩篇115篇 死人は主をほめたたえることがない

詩115:17「死人は主をほめたたえることがない。沈黙へ下る者もそうだ」
もし、主をほめたたえることが出来ないのなら、その人は死んでいるのかもしれません。「口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない(5-6)」ならば、それは人が造った偶像と同じではないですか。天では御使いたちが賛美していることがわかっていますが(ルカ2:13)、地上では賛美する口が与えられ、ほめたたえる言葉が与えられている人間だけが主をほめたたえることができます。人は3つの三角形に並べられた黒い点を見ると、人の目と口のように錯覚するそうです。いろいろな偶像が世界中にありますが、どれも人型をしています。鋳造や彫刻で作られた偶像は、偶然にできたものではありません。逆の言い方をするなら、人によって作られなかった偶像は存在しません。そのようなものが人の願いを聞いて、人が幸せだと思うことをしてくれるのでしょうか。人の幸、不幸にかかわらず神は存在します。それは天地がひっくり返ろうが変わることのない事実なのです。そして、人が神をほめたたえるチャンスは肉体をもっている今しかないのです。この詩にあるように「死人は主をほめたたえることがない」のならなおさらのことです。人があなたの神はどこか(2)、と尋ねても、あなたが主をほめたたえる姿こそ神の存在の証しなのです。