詩篇116篇 私は主を愛する

詩116:1「私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから」
なぜ主を愛するのか、それは私の声、願いを聞いてくださるからです。「愛する」のヘブル語は「ahab(アハーブ)」が使われています。これは人が主に対して愛していると言っていますが、主から人に対して「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した(エレ31:3)」とエレミヤに語っておられ、このときの「愛した」も「ahab」が使われています。この詩編の歌い手は「聞いててくださるから」愛したと歌っています。条件がないと人は何かを愛せないのは仕方のないことです。神と人との関係で、何の接点もなく、交わりもなければどうやって人が神を知ることが出来るでしょうか。パウロは被造物を見ることによって、神の目に見えない本性がわかると語っていますが(ロマ1:20)、神と人との交わりは語り合うことで出来ると思います。私の願いは祈りの中で、神の声は聖書の御ことばの中で知ることが出来ます。祈りがなく聖書を読むだけでは深い交わりはできないでしょう。逆に祈りだけで聖書のことばがなければ、自分の考えだけに縛られてしまいます。自分の願いが聞き遂げられたのなら、喜んで主を愛しましょう。主は信じる人に良いことを必ずしてくださるのです(12)。「感謝のいけにえ(17)」は主の喜ばれるいけにえです。