詩篇47篇 アブラハムの神の民として集められた

詩47:9「国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた」

ユダヤ人たちは、自分たちこそアブラハムの子孫だと誇りを持っていますが、イエス様が来られてからは、血筋よりも進行に焦点が向けられました。イエス様は「よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです(ルカ3:8)」と言われ、自分がアブラハムの子孫だからといって特別なのではないことを示しました。また、パウロは「信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい(ガラ3:7)」と言い、アブラハムの神を信じた義を受け継ぐ者こそアブラハムの子孫になり得るのだと教えています。神を信じる者は、約束の地を目指して歩んでおり、その歩みの中で神を知り、神を誉めたたえるようになるのです。コラの子たちの讃歌には、手をたたき喜び(1)、ほめ歌を歌うように(6)命じられています。それは強制でなく、主に出会った人々が自然に心から湧いて出てくる感情だと思います。すべての国々には日本も含まれていると思います。90%以上の人が神を知らない地でも、やがて神の憐れみは届き、日本人の口から主をほめ歌う歌が聞こえるようになるのではないでしょうか。主が角笛の中を歩まれ上るとき、全ての国民は主に向かって賛美を捧げるのです。