詩篇123篇 もういっぱいです

詩123:4「私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです」
イスラエルの人々が奴隷であったときは、捕囚後70年の間です。この詩では「奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように(2)」とあたかも、例えのように書かれていますが、おそらく自分たちの境遇を表しているのだと思います。ペットの犬を躾けるときには、合図を覚え込ませます。ある時は動作で、または声で合図を送ります。ある動作で「何かを取りに行け」とか「待機せよ」という感じです。ここに書かれている奴隷も主人の手の動きに集中しており、次に何の命令が下されるかを待っているのです。ちょうどその ように主のあわれみを待ち望んでいる、とこの歌い手は歌っています(2)。122篇ではダビデが主の家に行こうと聞き、喜ぶ様子が書かれていますが、この詩ではもっと重いイスラエルの人々の置かれた環境が感じられます。自分たちは十分に苦しみを受けたのだから、都に上ったなら主のあわれんでくださるだろう、とも読めます。「あざけり」と「さげすみ」とで「もういっぱい」です…というのは人々が限界を感じ、早くエルサレムに戻りたいという思いが伝わってきます。