詩篇131篇 乳離れした子が母親の前にいるように

詩131:2「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります」
日本では子どもが乳離れするのは1歳から1歳半ぐらいだと言われています。もちろん2歳ぐらいまで母乳を与える母親はいますが、だいたい歩けるようになるころから離乳を始めるようです。サムエルはハンナの祈りによって与えられた子でしたが、ハンナの請願によって乳離れするころからサムエルを神のもとに預けています(1サム1:24-25)。イエス様は小さい子どもを呼び寄せ「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません(マタ18:3)」と言われました。イエス様の呼び寄せた子どもは乳離れした子どもよりも年齢は上だったようですが、言わんとしたことは、心にやましい思いや高ぶったりする大人のようでなく、純粋な子どものような心が神に受け入れられるということだと思います。ダビデは誇らず、高ぶらず、大きいことや奇しいことに心を奪われないと歌っています(1)。それはちょうど乳離れして、純粋なままの心を持つ子どものようだと考えているのです。あれやこれやと神のことを邪推するのでなく、純粋に主を待ち望む者が主に受け入れられるのです。都にいつ上れるかわからなくても、「今よりとこしえまで主を待て(3)」という言葉にダビデの思いは集約されていると思います。