詩篇133篇 一つになって共に住むことは

詩133:1「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」
ダビデ自身は8人兄弟だったと聖書にあります(1サム16:10)。彼の腹心ヨアブとアビシャイはダビデの兄のツェルヤの子で、ダビデとはいとこの関係になります(1サム26:6)。ダビデの息子たちにはアムノンとアブシャロムがいて、妹タマルをめぐって血みどろの関係にありました(2サム13:32)。この詩を見る限りダビデが実の兄弟たちを指していないことは明白です。これは都上りの歌ですから、ダビデの考えている住まいは神の住まいだと思います。かつて、ダビデは「私のいのちの日の限り、主の家に住むこと(27:4)」を願い、詩篇で歌ったことがあります。それがダビデの唯一の願いであり、「その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう(27:6)」と歌っています。おそらく兄弟たちは主をともに礼拝するすべての同胞たちのことで、彼らとともに住むなら、油そそぎと同じぐらいうれしいことだとあります(2)。ダビデ自身も油そそがれた経験がありますが(1サム16:13)、それは頬を伝わりひげや衣服まで滴るのです。思わぬところで油そそぎが顔全体にべっとり流れることが発見されました。滴ることは聖書では恵みが豊かに注がれる比喩で、油は聖霊を指し、キリストは油そそがれたものの意です。