詩篇140篇 私にわなと綱を仕掛け

詩140:5「高ぶる者は、私にわなと綱を仕掛け、道ばたに網を広げ、私に落とし穴を設けました。セラ」
詩篇は賛美の歌だと思っている人がいると思いますが、ダビデの詩には自分の声を聞いて、願いをかなえて欲しいという内容が目立ちます。それは神が偉大なお方であることを知るためには、人生の中で困難な壁に直面しなければならないからです。創世記の最初にやみがあったことは(創1:2)、光が輝くためでした。善を知るには悪がなければわからないように、神の正しさを知るにはその反対のものがなければなりません。ダビデはよく自分を陥いれる者の存在を詩篇の中で歌っています。「悪者」という言葉でそれを表現していますが、ヘブル語では「rasha(ラシャー)」という単語が使われています。「邪悪な」とか「不正な」という意味があり、神とは相対する存在を示しています。そのような者がダビデにわなと綱を仕掛けて、おとしめようとしているのです。人生の中でこのような経験を持つ人は多くいると思います。もし、一度もそのような経験がないという人がいるなら、何もいうことはありません。しかし、神は愛する者を懲らしめる(ヘブ12:6)ということばが真実なら、神を信じる者たちには思いがけない試練が待ち受けているはずです。そして、試練を経験することによってダビデが何を歌っているのかがわかるのです。