詩篇133篇 なんというしあわせ

詩133:1「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」
「住む」のヘブル語「yashab(ヤシャーブ)」は「座る」という意味もあり、口語訳では「和合して」新共同訳では「座して」と訳されています。住むにしても、座るにしても、同じ場所に一緒にいることには変わりありません。同じ場所で同じ時間を共有することが、それほど喜ばしいことでしょうか?ダビデは神の家の話をしており、この詩は「都上りの歌」なのです。ダビデは神を礼拝する者たちとともにいることは、油を注がれることに等しいと感じています(2)。ダビデは自分オリジナルの天幕を作りそこに神の箱を置きました(2サム6:17)。天幕でダビデ一人が歌い 、踊ったのではなく、レビ人に楽器を持たせ歌うように命じたのです(1歴15:16)。それは賛美の喜びを独り占めしようとせず、周りの者たちにも喜びを共有しようとするダビデの信仰の表れだと思います。詩篇には多くのダビデ以外の人たちが歌った詩が残されています。神もたった一人の人だけが自分を褒めたたえ、ほかの人はただ立っているだけならつまらないと思います。「息のあるものはみな、主をほめたたえよ(150:6)」ハレルヤ。