詩篇144篇 過ぎ去る影のようです

詩144:4「人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです」
「息」のヘブル語「hebel(ヘベル)」は、「虚栄心」とか「うぬぼれ」という意味があります。また「蒸発する」という意味もあり、人が呼吸する息のようにあっという間になくなってしまうことを比較しています。それは影のようなもので、日の当たるところでは見えているけれども、日が陰ると消えてしまうはかないものだと言っています。「影」のヘブル語は「tsel(セイル)」が使われており、「日よけ」や「防御」という意味もあります。「人」の名刺は「adam(アダム)」が使われています。アダムはもともと「土」からの派生語で、やがて土に戻ると言われた神のことばから来ています(創3:19)。人の人生が「ふー」と吹くだけの息のような存在に過ぎず、その人生が影のように過ぎ去るのなら、あまりにもむなしいものです。ダビデは「人とは何者なのでしょう(3)」と問いかけていますが、ヨブも同じ問いかけをしています(ヨブ7:17)。神に近づけば近づくほど、全治全能なるお方が過ぎ去る影のような存在に目を留められることが不思議に思えます。息のようにすぐ消えて無くなるものに、なぜ神はご自身のいのちまで掛けて救おうとなさるのかわかりません。ヨブやダビデのように「人とは何者なのでしょう」という問いかけを主に向けるだけです。