詩篇32篇 くつわや手綱の馬具で押さえなければ

詩32:9「あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない」

世の中にはいつも怒っている人がいます。いつもイライラして、心に平安がなく、自分は不幸だと思い込み、誰かのせいにするような人のことです。そういう人は近寄りがたく、まさしくあばれ馬のようです。もし、そういう人のためのくつわや手綱でもあれば、御しやすいと思いますが、実際にはそのような道具はありません。なぜ、そういう人が現れるのでしょうか。彼らの心には神がいなく、ダビデのように心から信頼できる存在がないように思えます。ダビデの言うように「悪者には心の痛みが多い(10)」のかも知れません。心が痛くても天には神以外の選択肢はないのです。たとえ肉体と心が尽き果てたとしても、神の変わらない愛が人を支えていることを知るべきです(73:26)。馬具で制御してもらわなければ人と接することもできない人でも、罪赦されることはできます。そのような人は幸いな人だとダビデは歌います(1)。また、聖書には主が咎を認められなかったヨブがいます。そういう人も幸いだとダビデは言います(2)。キリストにあって、罪赦された者となった人はみんな幸いなのです。罪が赦され、咎を忘れ去られて、これ以上に何を喜べばいいのでしょうか。人の罪を背負って、自ら贖いのいけにえとなられた方に、栄光と誉れが永遠に続きますように。