エレミヤ6章 戒めを受けよ

エレ6:8「エルサレムよ。戒めを受けよ。さもないと、わたしの心はおまえから離れ、おまえを住む人もない荒れ果てた地とする」
もし、この預言が3章から続く一連のものならば、このことばはヨシア王時代に語られたものです(3:6)。まだ、捕囚にあってないエルサレムに主の戒めを受ける余力はあったのでしょうか(8)。「さもないと」と言うことばの裏には、まだ助かる可能性があるようにも聞こえます。エレミヤの預言を読む限り、主はさばきを決定しており、後戻りはできないように感じます。「わたしは悔いず、取りやめもしない(4:28)」ということばの中には、主の強い決意が見られます。それでもエルサレムに戒めを受けるように促しているのは、今からでも主に立ち返り、悔い改めて、行ないを主の目にかなうように改めるなら、まだ可能性が残っているからです。しかし、エレミヤは別にしても、ユダとイスラエルには多くのインチキ預言者がいました。本来ならモーセのように幕屋に仕え、主の箱に仕える者が主のことばを取り次げればよかったのです。イザヤ、エレミヤのような大預言者が登場するのは、ウジヤ王以降です(イザ1:1)。それは祭司、大祭司の力が弱まっていることを示し、彼らも堕落し、妥協したのです。「預言者は偽りの預言をし、祭司は自分かってに治め、民はそれを愛していいる(5:31)」とあるように、主に仕える者たちから堕落していきました。