エレミヤ17章 安息日に荷物を運んで

エレ17:27「しかし、もし、わたしの言うことを聞き入れず、安息日をきよく保たずに、安息日に荷物を運んでエルサレムの門のうちに入るなら、わたしはその門に火をつけ、火はエルサレムの宮殿をなめ尽くして、消えることがないであろう」
安息日に荷物を運ぶなら、当然荷を積んだり、荷下ろしもするでしょう。さらに、荷をほどいたり整理したりもするはずです。「荷物を運ぶ」は運ぶだけでは終わらないことを示しています。安息日に自分のことばかりを考えることを「きよく保たず」と言っています(27)。きよく保つことは、神に思いを向け、自分が抱えている煩わしい問題を一旦脇に置くことだと思います。きよく保たれているかどうかは、主が心を探り、思いを調べ、行いの結ぶ実を見られることで判断されます(10)。イエス様の時代には、神殿の中に両替商がいて、ローマのお金をユダヤのお金に換えていました(マタ21:12)。また、いけにえを持参しなくても神殿内でいけにえ用の鳩が売られていました(マタ21:12)。商売する側は神のためだと思っていても、主は心の中を見られます。それゆえ主は人の心は陰険で直らない、と言われています(9)。預言の中に「しゃこ」が登場し、自分で産まなかった卵を抱くとありますが(11)、実際にしゃこは別のメスの卵でも保育することが確認されています。これは他力で富を得る者を象徴しており、簡単に富を得ても、富はその人を養ってくれません。労働は本来、主からの命令です。汗水かいて糧を得て(創3:19)、そして7日目には安息を守るのです。