エレミヤ19章 陶器師の器が砕かれると

エレ19:11「彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を砕く。人々はトフェテに葬る余地がないほどに葬る』」
土焼きのびんとありますが(1)、イスラエルの民を陶器師の手で作られた土のつぼに例えた歌が哀歌に書かれています(哀4:2)。その中でイスラエルの民は「ナジル人の雪よりもきよく、乳よりも白かった(哀4:7)」とあり、もともとは罪のないきよい者たちだったと書かれています。そして「そのからだは、紅真珠より赤く、その姿はサファイヤのようであった(哀4:7)」と書かれ、神が最初に造られたときは輝く、美しい容姿も持っていたのです。さらにエレミヤの預言は、バビロンの包囲にも及び、城内で食料がなくなり、ききんが起きると最後には自分たちの子供を食べるようになることが書かれています(9)。この様子は哀歌にも歌われ「あわれみ深い女たちさえ、自分の手で自分の子どもを煮て、自分たちの食物とした(哀4:10)」と書かれています。エレミヤが陶器師の器を割ることは、事実上のイスラエルへの最期通告で、一度砕いてしまった器は再び戻ることがないと強い口調で預言しています(11)。それは城内に残ろうとしている者たちへの警告であり、かたくなな民はこの預言のように飢えと病気で死んでいくのです。しかし、主のご計画は「バビロンの王に仕えて生きよ(27:17)」というもので、そのことばを受け入れた者だけが生き残るのです。