エレミヤ20章 もう主の名で語るまい

エレ20:9「私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません」
エレミヤは足かせを付けられ、多くの人が通るベニヤミンの門でつながれていました(1)。エレミヤは主によって口に与えられたことばをそのまま伝えました。そのことを「あなたに惑わされました(7)」と言っています。自分の思いではなく、主のことばを伝えたのに、捕らえられ、足かせにつながれ、物笑いとなってしまったのです(8)。エレミヤをとらえたパシュフルには、捕囚に遭い、バビロンに連行され、そこで死ぬことが預言されています(6)。とは言っても、エレミヤが恥ずかしい姿をさらした事実は消えません。主のことばを伝えることはもう嫌だ、という思いが伝わってきます。ついには自分が生まれた日をのろう有様です(14)。試練にあったヨブも同じように自分の生まれた日をのろっています(ヨブ3:1)。しかし、エレミヤの体内では主のことばを留めておくことができなくなり、燃えさかる火のようになったとあります(9)。もう主のことばを取り次ぐのは嫌でも、主のことばは生きていて、エレミヤ個人の判断ではどうすることもできないのです。エレミヤが真実の主のことばを語る以上、その内容は周りにいる人たちにとっては到底受け入れがたいものなのです。できれば、エレミヤにつまずいて欲しいと願っています(10)。それでもエレミヤは語り続けます。