エレミヤ21章 奇しいみわざを行なわれたように

エレ21:2「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデレザルが私たちを攻めています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行なわれたように、私たちにも行ない、彼を私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから」
おそらく「かつて、あらゆる奇しいみわざ」というのは、ヒゼキヤ王の時代の一晩にしてアッシリヤ兵18万5千人が殺されたことを言っているのだと思います(イザ37:36)。「主に尋ねてください」というのは、同じような奇跡が起きるという預言をしてほしいと言う意味です。しかし、エレミヤは王のそばにいる、王の気にいる預言をするお抱え預言者ではありません。彼らの予想とは正反対のことばを繰り返すのです。剣、疫病、ききん、捕囚とどの選択も嫌なものばかりです。唯一、降伏しカルデヤ人の捕虜となる者だけは助かると言われています(9)。籠城では、真っ先に食料と水の問題が出て来ますが、ヒゼキヤ王の時代にヒゼキヤが貯水池と水道を造ったことで水の問題はなんとかなりそうです(2王20:20)。そうすると後は食料の確保ですが、籠城では限界があります。それゆえ、預言にあるききんは必然と起きたと考えられます。さらに、疫病に関してもエルサレムの門の中に「糞の門」があり(ネヘ2:13)、この門の場外に定期的に糞尿を捨てて処理していたのが、敵の包囲によって門が開けられず、城内に病原菌が溜まっていったと考えられます。このような悪環境の中で、エレミヤに奇跡を起こせと頼んでいるのは、まだ主の怒りを悟っていないように見えます。