エゼキエル6章 偶像を慕う彼らの姦淫の目

エゼ6:9「あなたがたのうちののがれた者たちは、とりこになって行く国々で、わたしを思い出そう。それは、わたしから離れる彼らの姦淫の心と、偶像を慕う彼らの姦淫の目をわたしが打ち砕くからだ。彼らが自分たちのあらゆる忌みきらうべきことをしたその悪をみずからいとうようになるとき」
神が怒られたのは、ソロモンの時代から始まっていました。ソロモンは主の神殿を完成させ、完成の際には牛2万2千頭と羊12万頭のいけにえをささげました(1王8:63)。主がソロモンに告げられたのは「父ダビデが歩んだように、全き心と正しさをもって、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら(1王9:4)」という条件のもとに、王座をイスラエルの上に確立するというものでした。しかし、異邦の妻を多く持ち、彼女たちがソロモンの心を転じさせたことで(1王11:2)、破滅の道が始まったのです。2つに分裂したイスラエルとユダには、最後まで異邦の神が根強く残り、これが主がさばきを決断した最大の要因となりました。ユダ国では、ヒゼキヤ(2王18:4)、ヨシヤ(2王23:19)が、一時は偶像を排除しましたが、それ以外の王は偶像を残したままでした。イスラエルでは、ヤロブアムの罪と呼ばれる金の子牛を滅亡まで拝み続けました(1王12:32)。バビロンで異教の風習に触れることで、自分たちがいかに主を裏切ってきたかを知るようになるのです。神殿があり、神の箱があれば主は守ってくださる、と考えていたイスラエルの民は、自分たちの行為を恥じて、悔いることになるのです。