エゼキエル17章 低い木を高くし

エゼ17:24「このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行なう」
「若枝」と聞くと、どうしてもメシヤ預言を連想してしまいます。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ(イザ11:1)」は、あまりにも有名なイエス様の誕生の預言です。また「ダビデに一つの正しい若枝を起こす(エレ33:15)」も有名です。ここではイスラエルの高い山に、主ご自身が植えられるとあります(22)。主が高い木を低くし、と書かれていますが、イエス様は、ご自身を低くされ、神であるのに神のあり方を捨て、人に仕える姿をとりました(ピリ2:6)。そのような態度は神が最も喜ばれるもので、イエス様を高く上げすべての名にまさる名をお与えになりました(ピリ2:9)。高いものは低くされ、低いものは高くされるのが主の法則です。イスラエルも高慢になり、主に従うことができませんでした。バビロンも同じです。今はイスラエルを捕らえ、征服者となっていますが、バビロンの王もまた高ぶり主から滅びを宣告されるのです(ダニ5:23)。バビロンにはネブカデネザルが正気を失い、獣とともに住んだことがありました(ダニ4:33)。そのしるしを見てもバビロンは心を低くしなかったのです。ベルシャツァル王は、滅びる寸前になって、主がすべてを支配していることを知ったのです(ダニ5:30)。