エゼキエル18章 必ず生きる

エゼ18:19「あなたがたは、『なぜ、その子は父の咎の罰を負わなくてよいのか』と言う。その子は、公義と正義とを行ない、わたしのすべてのおきてを守り行なったので、必ず生きる」
イスラエルの格言「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く(1)」というのは、エレミヤも同じものを引用しています(エレ31:29)。それはイスラエルの民が何か災難にあったときに、それはきっと、父の罪を子に報いさせようと主が働いたのだ、と考えていたからです。自分の父がどれだけ罪を犯したかによって、主が父の咎の分の罰を子どもに負わせるわけではありません。エゼキエルは「子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない(20)」と預言し、父の罪が子どもに継承することを否定しています。それぞれの人生で、たとえ悪を行なったとしても悔い改め、態度を改めるなら「生きる」と書かれています(22-23)。「生きる」のヘブル語「haya(ハヤ)」は、「いのちを得る」の意味があります。また、逆に正しい者が堕落し、不正を行い、忌み嫌うべきことを行なうのであれば、彼は死ななければなりません。エゼキエルの預言している内容を聞いて、人は必ず死ぬのに何を言っているのだろうと考える人もいます。聖書の言う「生きる」は神の御もとで生き続けることで、「死」は神のいない世界へ行くことだと思います。死んでから悔い改めても遅いのです。いのちのあるときに、「いのち」を得なければなりません。