エゼキエル20章 高き所は何なのか

エゼ20:29「そこで、わたしは彼らに言った。あなたがたが通う高き所は何なのか。今日でもその名をバマと呼ばれているが」
エゼキエルの預言を見るなら、イスラエルの歴史の中で最も大きな出来事は、ノアの箱舟でも、アブラハムとの契約でもなく、出エジプトであることがわかります(6)。その過程で十戒を言い渡し、偶像を捨て、唯一なるイスラエルの神だけを拝むように命じました(11)。しかし、イスラエルの民はエジプトの偶像を捨てず、逆らったのです。預言の中で、主はイスラエルの民を絶ち滅ぼそうと考えたとあります(13)。それを取りやめたのは「わたしの名のために(9、14、22)」だとあり、諸国が見ている前でイスラエルを滅ぼすことは、自分が選んだ民を救うことはできても、コントロールできずに殺してしまった、と思われてしまいます。主ご自身が選ばれた民は、導いていくうちに「高き所」という変なものを拝むようになります。それでも忍耐を尽くし、イスラエルを導きましたが、彼らの「高き所」への執着はおさまることがありませんでした。ただ、ヒゼキヤとヨシヤだけは高き所を取り除き、汚したとあります(2王18:4、2王23:13)。主はソロモンを通して神殿を作り、はっきりと拝む対象を具現化しています。それでも、彼らは偶像に仕えることをやめなかったのです。「いったいあれは何なのか」主が問いたくなるのもわかります。