1歴代誌17章 一度でも、言ったことがあろうか

1歴17:6「わたしが全イスラエルと歩んできたどんな所ででも、わたしの民を牧せよとわたしが命じたイスラエルのさばきつかさのひとりにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか」
イスラエルのさばきつかさのひとりにでも」は、サムエル記では「イスラエル部族の一つにでも(2サム7:7)」となっています。どちらにしても、主は誰にも家を建てよとは命じられたことはありません。それどころかナタンに告げられた預言は、「主があなたのために一つの家を建てる(10)」と、ダビデが主のために家を建てるのではなく、主がダビデのために家を建てるというものでした。それは「とこしえまでも立たせる(14)」と語られ、未来に現われるメシヤを指していると思われます。主のことばを聞いたダビデは、「このしもべ」のために大いなることを知らせてくださった(19)と自分に対する主のご計画にただただ感嘆するだけでした(20)。その背景には、ダビデが作った天幕での賛美や踊りをもって主を賛美するやり方を、続けて欲しかったように感じます。それゆえに「ダビデの倒れている仮庵を起こし…昔の日のようにこれを建て直す(アモ9:11)」と語っておられます。ソロモンが神殿を建てることが決まっていても(28:6)、せめてダビデが生きているあいだは、あの賛美に満ちた礼拝を楽しんでいたいと願っているように感じます。それほど賛美は大切で、天幕で歌われた歌は詩篇に多く残っています。