2歴代誌15章 ただ一筋に喜んで主を慕い求め

2歴15:15「ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らにご自身を示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた」
誰にでも主を求める正しいときと、そうでないときがあります。アサの治世15年目に預言者アザルヤに与えられたことばに(10)、アサは共感し、ユダ全土に主を求めるように勧告しました(1-14)。王の呼びかけに民は喜び、主だけを神とすることを誓いました。しかし、それも治世35年までで、アサはアラムと同盟を結ぶように画策します(16:3)。また、自分の足が病気になると、主を求めず医者を求めたのです(16:12)。なぜ、最初に主に誓ったように、続けてその信仰を保てなかったのでしょうか。ソロモンも神殿が完成したとき、多くの捧げものを捧げ、民とともに主を礼拝しました。聖書には聖所に主の栄光が満ちたとあります(1王8:11)。しかし、ソロモンが外国の女を愛し始めたころから、彼の心は次第に主から離れていくのです(1王11:1)。ソロモンもアサも、どこかでつまづいています。それは誰の人生でも起こりうることで、聖書は完全な人はいないと証言しています(詩14:3)。ダビデは、非常に立ち直りの早い人だったと思います。自分の子が死んだときも断食しましたが、主が応えられないとわかるとさっさと起き上がり、食事をしています(2サム12:20-22)。問題は、つまづいたときにどうやって立ち直るかです。