2歴代誌29章 治世の第一年の第一の月に

2歴29:3「彼はその治世の第一年の第一の月に主の宮の戸を開き、これらを修理した」
なぜ主の宮の扉が閉まっていたかと言うと、ヒゼキヤの父アハズがダマスコの祭壇を作り、それに仕えるために主の宮に入れないように戸を閉めていたからです(28:24)。ヒゼキヤが王になった瞬間、父の間違った行ないを正し始めました(3)。ヨアシュ王には祭司エホヤダ(2王12:2)、ウジヤ(アマツヤ)王には神の人ゼカリヤと(26:5)、神のことばを伝える者がいて王を主の道へと導いていました。ヒゼキヤにはそのような存在は書かれていませんが、母がアビヤという名前でありゼカリヤの娘とあります(1)。聖書には多くのゼカリヤという名が登場するのでどのゼカリヤとは言えません。仮にウジヤ王の時代のゼカリヤなら、彼の娘で母アビヤの教えがヒゼキヤが主の道を歩むようになったことは考えられます。しかも、ヒゼキヤは律法に通じており、25歳で王につくまでに律法の教えをしっかり学んでいたことになります。ヒゼキヤは父アハズが主に背いていたことを理解していました(6)。それに準じて民も異教の神を拝んでいたことも知っていました(8-9)。おそらくヒゼキヤは自分が王になったら、ユダ国をイスラエルの神に正しく導こうと決心していたと思われます。その証拠が「治世の第一年の第一の月(3)」ということばに表れています。