ルカ15章 ひとりの罪人が悔い改めるなら

ルカ15:10「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです」
エス様が羊、銅貨、放蕩息子の話をされたのは、パリサイ人や律法学者たちが「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする(2)」と言われたからです。当時の罪人たちは、律法に従えない人たちで、その中には体が不自由で社会的に避けられた人たちもいました。イエス様の目がそのような貧しく、弱い人たちに向けられていたのに対し、パリサイ人は彼らの環境などおかまいなしで、律法によって正誤を決めていたのです。それゆえに、イエス様が安息日を守るかどうかを見張り、水腫をわずらっている人をいやすかどうかを見ていました(14:1-4)。また、18年も腰が曲がっている女をいやしたときも「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです(13:14)」と神が本来定めた安息日の意味を歪曲して人に強いろうとしたのです。確かに体の弱い人は、普通の人より劣り、こなす仕事の量も少なく賃金も安かったでしょう。弟子たちの中には、盲目に生まれたのは誰かが罪を犯したからだと考える者もいました(ヨハ9:2)。弟子でさえ、そのような偏った考えに支配されていたのなら、パリサイ人たちはなおさらのことです。イエス様はなんとかして、目に見えるものの支配から、神との和解をして戻そうとしておられたのです。