伝道者の書1章 伝道者である私は

伝道1:12「伝道者である私は、エルサレムイスラエルの王であった」
伝道者はヘブル語「qohelet(コヘレト)」が使われ、カトリックの使っている聖書には「コヘレトの言葉」というタイトルになっています。英語では「teacher」とか「preacher」が使われており、教える者や説教する者の意味があります。「伝道者」と訳したのは、伝える者として、後世でこの書簡を読む者たちへ戒めを書き記そうとしたのだと思います。とにかく、民に先立って知恵を得たソロモンが晩年になって自分の人生を振り返り、自分が得た悟りを教えるために書かれたようです。書かれている内容から、ソロモンは歳を重ねて老年になってから書かれてように見えます。そのソロモンが最初に書いたのが「空の空」というものです(2)。それは、人生とはなんと虚しいものだろうという嘆きにも聞こえます。なにしろ、ソロモンは栄華を極めた、当時最も富を所有していた王だったのですから、それだけ裕福で誰もが自分の言うことを聞いてくれるのなら何の不満もないように思えます。しかし、当の本人は、どんなに生きても同じことの繰り返しで、日は上ってもまた沈み(5)、風は吹いても巡って同じに戻り(7)、川が海に水を注いでも海が満ちることはない(8)と嘆きます。この世には満たされるものはないのです。