伝道者5章 権利と正義

伝道5:8「ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる」
この時代にすでに「権利と正義」が語られています。国は支配者、統治者、王などのによって運営され、歴史的に見ても長い間民衆は個人的な権利など認められない時代が続きました。王が勝手になんでも決めてしまうのを嫌って、議会が権利の請願を成立させたのは、1628年のイギリスでの出来事です。特にヨーロッパの歴史では、王や教皇による権利が一点集中した政治形態が長く取られていました。ソロモンは「権利と正義」を述べており、このヘブル語「mispat(ミスパット)」と「sedaqa(セダカー)」は、創世記に主がアブラハムを選んだ理由として「正義と公正をおこなわせるため(創18:19)」と言われたことばの中にあります。貧しい者にも権利と正義があることはソロモンも理解していました。ただ、ソロモン自身も王であり、国を豊かにするには彼らを働かせて収穫を得なければなりません。国を繁栄させる王は、家臣を監督し、その下の部下に命令します。さらに、その下には部下がいて、最終的には民が彼らに命じられるのです。ソロモンはこのようなシステムも神から与えられたものだと知っており、その根本はイスラエルの民が「あらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えた(1サム12:19)」というところから始まっています。