伝道者9章  生きている犬は死んだ獅子にまさる

伝道9:4「すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである」
すべては生きているときがチャンスです。罪を選択しようが、悔い改めようが、生きているからそれらはできるのです。いったん、死が訪れるなら、自分の目で見て、自分で考え判断することはできなくなります。それは主が与えてくださった肉体があるからできることです。「生きている犬が死んだ獅子にまさる」というのは、究極の悟りですが、獅子がどんなに強く、威厳があり、吠えたけり獲物を倒そうとも、死んだらただの肉になり、はげたかやジャッカルの餌食になるのです。すべての人には同じ結末が来ます(3)。多くの人は自分が死ぬことを知っていても、それはまだ先のことだと思っています(5)。ある人は生きている間に報いを受けたいと願いますが、それがどれほどの名誉であっても、死んでそれを持っていくことはできません。ダビデと戦ったゴリアテも、3メートルほどの身長があり、どんな敵をも倒せる力がありましたが、たった1つの石で倒され、肉のかたまりになったのです(1サム17:40-41)。たとえ、オリンピックで10個の金メダルを取っても、死んだら金メダルはそのまま地上に残ります。名誉も栄誉も神からのものですが、人から称えられるのでなく、神をたたえる者になりたいものです。