哀歌5章 そしりに目を留めてください

哀5:1「主よ。私たちに起こったことを思い出してください。私たちのそしりに目を留めてください。顧みてください」
考えてみれば、いま捕囚にあっているユダヤ人たちは自分の先祖の犯した罪のつけを払わされているようなものです。「私たちの先祖は罪を犯しました。彼らはもういません。彼らの咎を私たちが背負いました(7)」と書かれているとおりです。捕囚の様子は列王記や歴代誌などには詳しく書かれていませんが、劣悪だったことがここに書かれています。自分たちを管理しているのは奴隷で(8)、いのちがけで食料を調達しなければなりませんでした(9)。女たちははずかしめられ(11)、首長も長老も敵には重要だと思われませんでした(12)。これが先祖の犯した罪のつけだとしても、「いつまでも私たちを忘れておられるのですか(20)」と終わりの見えない苦痛に、つい本音が出ています。主の懲らしめや試練が長く続く場合もあるでしょう。それは信じる者にとって難しいときでもあります。哀歌の最後は「あなたはほんとうに、私たちを退けられるのですか。きわみまで私たちを怒られるのですか(22)」で締め括られています。嘆きの歌の最後が希望で終わらないのは残念ですが、もし哀歌の作者がダビデなら最後まで主の御名を賛美したのだと思います。70年後には、開放のときがやってきます。ただ、70年を待つには人の寿命は短すぎるのです。