アモス5章 あわれまれるかもしれない

アモス5:15「悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。万軍の神、主は、もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない」
ヨセフの残りの者は、エフライムを代表とするイスラエル全家のことです。1000人が出征していた町には100人、100人出征させた町には10人が残ると言われており(3)、何度と繰り返す戦いでは勝利は得られません。唯一生き残るための方法は「主を求めて生きよ(6)」とあるように、他の神に拠り頼まず、アブラハムの時代からずっと導いておられる聖書の神を信頼することです。それには十戒に示された人の守るべき律法を守り、善を求めて、悪を憎み、正しいさばきを下すことが必要です(14-15)。自分の欲に従い、自分が考える正しい道を歩んだとしても、それは主の道とは大きくはずれています。人が勝手に決めたいけにえや穀物のささげ物をしても、神は喜ばれません(22)。その原因として挙げているのが「サクテ」と「キウン」の像だとあります(26)。これはステパノが使徒の中で「モロクの幕屋」「ロンパの神の星」という言葉を使って説明されています(使7:43)。当時からこれらの神々が出エジプトをした後も、忘れられずに一緒に担いで荒野を渡っていたことは知られていたようです。それにしてもイスラエルの民の異教に対する思いは、染み付いて離しようがなく、主が怒られるのも無理はありません。