ミカ6章 神とともに歩むことではないか

ミカ6:8「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」
「公義」にあたるヘブル語「mispat(ミシュファット)」は、「さばきびと」に使われた「sapat(シャファット)」の名詞形です。「誠実」は「hased(ハセッド)」が使われ、「憐れみ」とか「親切」という意味があります。「へりくだって」の部分のヘブル語「sana(サナー)」は、聖書の中で2回だけ使われている単語で、「身を低くする」という意味があります。ここでは何が良いことで、主が何を求めておられるのかがはっきりと書かれています。それは正しく判断することと、憐れみを忘れず、主の前に身を低くして神とともに歩むことだとあります。イスラエルの民はゆがんだ判断をして、自分中心に考え、人を顧みず、ほかの神を拝み続け、主の前に悪を繰り返していました。正しい判断をすべきなのに、不正なはかり、欺きの重り石の袋をつかって、自分の利益だけを考えたのです(11)。はかりを大きくしたり、小さくすれば自分には多くの穀物を、相手には少ない量の穀物を渡すことができます。また、袋にあらかじめ重りを入れておけば、支払うときに少ない金で済みます。このような詐欺まがいの行為を何のためらいもなく行えること自体、彼らの感覚が麻痺しているあかしにもなります。それはどんなに傷のないささげものを捧げても、心をみられる神には通用しないことです。