ゼカリヤ1章 わたしの宮が建て直される

ゼカ1:16「それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。―万軍の主の御告げ―測りなわはエルサレムの上に張られる』」
主の使いははっきりと70年について言及しています(12)。それはエレミヤも預言した「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる(エレ29:10)」の成就した年月を指しています。エレミヤはこの預言の後に有名な「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレ20:11)」と続きます。平安を与える計画ですが、最初に遣わされた主の使いは「全地は安らかで、穏やかでした(11)」と報告しています。しかし、主はその平和はいつわりのもので「わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行なった(15)」と語り、主ご自身が怒りの手綱を緩めるなら、彼らはほしいままに行なったことが書かれています。ゼカリヤの見た赤い馬は黙示録によるなら平和を奪うことを許された馬です(黙6:4)。平和だと感じるときは心の緩むときです。そういうときには、神の厳しい律法より肉のおもむくままに生きたいと思うものです。70年のあいだにバビロンは平和に暮らしていたのだと思います。しかし、主が定められたときがきたとき、彼らにとって思いがけないことが起ころうとしています。